「ぎょうざてん」、「かっぱ天国」、「竹さんのかっぱ」、
かつて重工業が隆盛をきわめた頃の神戸の中心が兵庫新開地であった事実を抜いて、神戸の食を語ることはできない。
明治の時代に、湊川の河川敷は埋め立てられ、新しい土地として開かれたのが新開地であった。そして、川崎造船や重工業が一世を風靡したころ、神戸の勤め人は仕事を終えると今のJR神戸駅のあたりから新開地にかけての繁華街に繰り出したのであった。街の近くには世界に繋がる港があり、造船所があり、庶民の住まいがあり、市役所もあった、モダニズムがあった。劇場や寄席、映画館が次々と増えて、「東の浅草、西の新開地」と並び称せられ、神戸一の歓楽街となった。一時代を築いた映画の街は、いまも演劇と大衆の街である。当時の面影を今に残した大衆食堂が新開地やその界隈に点在するのは歴史的遺産ではある。紹介する神戸の店が新開地界隈に集中するのも深くこの理由によるものであることをお断りしておく。
INDEX
中華飯店「珍平」、「青葉」、「天丼吉兵衛」、西宮「一藤」、お好み焼き「水原」、
大衆食堂「マルイ食堂」、「皆様食堂」、らーめん「風火山」、食事処「末広」、食堂「ミカゲヤ」、
「千疋屋」、お好み焼き「小町」、「びっくりうどん」、「吉林麺点」、「望浪寿し」
大衆食堂「トシヤ」、中華「香美園」、「びっくりラーメン」、たまご焼「いづも」、「ふなまち」
「山陽亭」、「ひさご食堂」、「松濤庵」、「春陽軒」、「ナフシャ」、「源八寿し」、「MARUIらーめん」
「丸玉食堂」、ぎょうざ「瓢たん」、「山陽そば」、「高速そば」、その他の立ち喰いうどん、「金時食堂」
のり巻きお好み焼き「ひかり」、中華・洋食「四宮軒」、洋食「赤ちゃん」、和風喫茶「愛」、中華そば・定食「竹島」
「常連に惜しまれて閉店」の記事が「朝日新聞神戸版」(2005.12.18)に掲載されました。
筆者も、もちろん「お別れ会」に参加しました。 店が無くなったとの情報もありましたが、その後、現地へ行ってみましたら建物はありました。奥さんにお話を伺ったところ、「人通りも少ないので店はやってはいないが、NHKが戻ってきたら再開したい」とのことでした。また息子さんが花隈のモダン寺より西の場所で店を構えていることがわかりました。店名は中国料理「光麟」である。(2003/12/22記)
震災で打撃を受けた友光食堂が健在か、平成11年9月8日(水)に訪ねてみました。
なんと健在です。 | |
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その日も、たまご麺の「牛あばら汁そば」を注文しました。ボリュームがあるので、このそばとビール1本も取れば満腹になります。林さん亡き後、奥さんが店を守っておられます。 この店で食べた「レモン豚」は最高でした。蒸し魚がお勧めだそうです。涼しくなったら、餃子も出してくれると約束してくれました。名シェフの息子さんは、震災で傾いた店では人が来ないので家族が食っていけないと、よその店で働いておられます。いい腕をもっているのに残念です。みなさんもどんどん行って繁盛させて、シェフに戻ってもらいましょう。 暖簾が出ていない場合でも営業していますので注意して下さい。
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電話 078-331-2896 |
さとなお氏が絶賛してましたので、電子友人のパステルさんと平成12年2月のある日に訪ねてみました。
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丁度、土曜日の昼食時だったのでとても繁盛してました。生醤油うどんだけでは物足りなくて、釜揚げも食べました。コツは大盛りをオーダーすることですね。
所在地 神戸市須磨区妙法寺上の界1182-1 |
王子公園前のかっぱ天国にて[1999夏] | この店はもともと元町の南京町で開店して、店はめちゃめちゃはやったのであります。 でももうかった金を黄さんは台湾独立のために使ったんですね。そして店も六甲に移転したのです。店は決して高級ではない。むしろ古ぼけてはいる。しかし味は一流です。そして安い。タイガースが勝利した翌日はなんと2割引きなのです。更に毎月28日は名物ぎょうざが半額なのです。
名物ぎょうざは薄い皮であっさりした軽い味、特製のタレで食べます。せいろでふかした肉包子(ぶたまん)は皮も美味しい。ラーメンも淡味なスープと麺がハモって旨い。チマキや海老シュウマイもすばらしい。勿論豚足やアバラの煮込みもある。極めつけは冷麺で、一度食べるとやみつきになる。黄さんいわく「料理で大切なのは材料の上下でなく調和・ハーモニーです。」「金ある男より価値ある男でいたい。」と語る黄さんの精神が息づく庶民グルメの店です。
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