ここは、丹波市島で山猿塾を主宰する青木慧さんからの便りのコーナーです。
目 次
◆山猿塾だより◆181-私の山猿塾略史 FAGRI掲載日 98/01/11 ◆山猿塾だより◆182-私のビジョン FAGRI掲載日 98/01/11 ◆山猿塾だより◆183-私のビジョン FAGRI掲載日 98/01/11 ◆山猿塾だより◆184-私のビジョン FAGRI掲載日 98/01/11 ◆山猿塾だより◆185-98前半期作業予定 FAGRI掲載日 98/01/12 ◆山猿塾だより◆186 雪山に登りたい FAGRI掲載日 98/01/14 ◆山猿塾だより◆187 またまた鹿が来襲 FAGRI掲載日 98/01/24 ◆山猿塾だより◆188 4度目の鹿被害 FAGRI掲載日 98/01/28 ◆山猿塾だより◆189 人間の檻も破られる FAGRI掲載日 98/01/29 ◆山猿塾だより◆190 まずは番犬の放牧 FAGRI掲載日 98/02/06Contents Copyright 1996,97 Satoshi Aoki
00002 ◆山猿塾だより◆181-私の山猿塾略史 FAGRI掲載日 98/01/11 RE:MES10/11976:山猿塾だより-181 私の山猿塾略史 FAGRIの新装開店=会議室再編成を機会に、私が主宰している山猿塾の略史を記 します。また、引き続き山猿塾についての「私のビジョン」を記し、さらに広く「一緒 にやろうよ」と呼び掛けたいと思います。 わざわざタイトルに「私の」を付けたのは、それぞれの参加者に歴史や思い、ビジョ ンがあって、その違いを大切にしたいからです。それぞれの違いを生かすためには、な にもかも一律に一緒にするのを義務づけたり強要したりするのではなく、各自の自主性 をたいせつにしたいですね。 互いが障害にならないかぎり、ものごとによって「一緒にはやらない」人も許容範囲 に入れたいものです。私は私で自分のビジョンにもとづいてわが道をすすみますが、同 調を強要するつもりはありません。山猿塾が総じて自然から学ぶ場になればと願ってい ます。 ◇夫婦だけの自然観察キャンプから◇ 私と妻の明子とは東京を中心に働いていましたが、10年ほど前から農山村に移住し 生活の転換を図ろうと考えていました。互いに仕事(私は企業社会の取材、明子は主に 農業関係の雑誌、単行本の校正)を通じ、農林業と農山村の重要性を痛感するようにな っていました。 1991年末、私の故郷である兵庫県市島町の山間に約700坪の土地を入手しまし た。すでに山林の中に孤立して耕作放棄された3枚の山田(棚田)でした。将来、この 土地の自然環境に適合した生活を築いていくため、92年秋、夫婦だけでまず自然観察 のテントをはりました。 その自然観察報告をFAGRIの13会議室(当時)に書いたところ、「一緒にテン トを張りたい」という仲間が現れました。私たちはもともと農山村に移住してそこでの 生活をある程度築いてから、自然に接して自然から学び直す場となる山猿塾を主宰した いと考えていました。 しかし、なにもないところから裸の自然に接した方が山猿塾にふさわしいことに気付 きました。そこで92年末から93年の年始にかけて、FAGRIの有志とキャンプの 山猿塾を催すようになりました。これが山猿塾の始まりです。 ◇テント暮らしから山小屋暮らしへ◇ 四季折々にキャンプを催す山猿塾では、用を足すにもスコップを持って山に入って適 当な場所を探さなければなりませんでした。そのうちに風呂とトイレくらいは造ろうと いう話になり、間伐材で2×4メートルの小さな小屋を造り始めました。 ところが、運悪く水不足で異常乾燥がつづき、山間で風呂を焚くのは危険な状態にな りました。風呂はあきらめ、寝泊まりができる2段ベッドを備えた山小屋造りに方向転 換しました。これがいまの「ひまわり小屋」です。 いささか少女趣味にみえる「ひまわり」の名は、太陽の周りを自転しながら展開され ている地球上の物質循環に即して暮らそうという意味です。日毎に巡り会うひまわりで、 みんなが順繰りに小屋を利用しようという意味も含めました。 ◇ひまわり小屋での仮住まいと本宅の自力建築◇ ひまわり小屋ができてまもなく、私たちは千葉県八千代市内の自宅を売却し、95年 4月ここに移住しました。そこまでの経緯は拙著『自然に学ぶ丹波山猿塾』(95年、 青木書店刊)にまとめています。 私たち夫婦はひまわり小屋で仮住まいしながら、私は自力で本宅の建築にかかりまし た。まずひまわり小屋を増築してとりあえず暮らせるようにし、作業小屋も建てて、本 格的に本宅の建築にかかったのは95年7月からです。私は59歳半でした。 1年半後、97年元旦に私は61歳の誕生日を迎えましたが、60歳の終わりととも に本宅の大所はできました。1月3日の落成披露には40人の人々が集いました。拙著 『やったぜ! わが家を自力建築−毒漬け住宅に住めるか』(97年、汐文社刊)に、 自力建築の趣旨と経緯をまとめています。 ◇山猿塾の変貌◇ なにもなかったキャンプ時代は、私たちがテントを張っていた期間だけ有志が集って いましたが、私たちが移住して定住するようになって、山猿塾も大きく変わりました。 「いつでも、だれでも、どうぞ」と参加者を迎えられるようになったからです。 わが家の完成とともに、パソコン通信を通じた参加者だけではなく、さまざまな来訪 者が増えました。自然に準じた生活の拠点の実物見本が目で見えるようになったからで す。 わが家は地元の「眠れる森林資源」間伐材や荒野地、石などを活用し、自分の頭で考 え自分のからだに汗して建てた「創作住宅」です。化学処理した外材、プラスチックな どの化学合成物質、有害な接着剤と外材で造った合板は使っていません。 同じNIFTYの建築・デザイン関係のFARCDの東京の建築家たちの有志が企画 した「創作住宅」見学ツアーでは、地元の林業関係者にも交流を呼びかけ、そのほかの 見学者を合わせて約40人が集いました。 私が創作住宅の自力建築に夢中になっているあいだにも、山猿塾にはサナギマンさん らの手で日本の果樹が植え付けられ、自給野菜も茂るようになりました。97秋キャン プ山猿塾は収穫祭に近くなりました。また、Nackさんが自ら準備委員長を名乗り出 て、キャンプ山猿塾もより自主的に運営されるようになってきました。 山猿塾においでのさいは、Nackさんがまとめてくれた山猿塾ガイドやアルバムが ひまわり小屋に備えていますので、ぜひ御覧ください。パソコン通信でのやりとりも芝 田まことさんがまとめてくれたものを備えています。 ◇自然に学ぶ場◇ いまNackさんが増築工事中のひまわり小屋のほか、開拓小屋も無料解放していま す。山水を利用した自炊も可能で、飯ごうやコッフェル、電気冷蔵庫などもあります。 2つの小屋で計10人は宿泊できますが、寝具が必要です。 自然観察や散策のほか、その季節ごとの農作業、間伐や間伐材の搬出などの山仕事、 間伐材を使った木工も可能で、自宅を建てるのに使った各種電動工具、大工道具もそろ っています。山猿塾は、自然とその産物に接し、自然から学び直す場です。いつでも、 だれでも、どうぞおいでください。 目次へ MSHIBATA'S Home Pageへ 00003 ◆山猿塾だより◆182-私のビジョン FAGRI掲載日 98/01/11 (1)地元の日本の木を使い、森林を育てる ◇逆立ちの住宅産業への実力行使◇ 私が自力で建てた創作住宅は、めざしている暮らし方の全面的な転換のための拠点で す。まず生活に不可欠だった自宅を建てることが先決でしたが、同時に、住み手のこと より目先の利益を優先し、逆立ちしている住宅メーカーを中心とする住宅産業を正常化 させるための実力行使でした。 したがって、自力建築が完成したら終わりではなく、完成した創作住宅は地元の日本 の木を使えば素人でさえ立派な健康住宅が建てられるという実物見本です。今後はこの 実物見本を拠点にして、新たな活動を展開します。 日本の森林を育て活用している林業が慢性不況の状態にある大きな原因の1つは、木 材の7割の需要を占めている住宅産業が、外材と非木質用材に依存しているからです。 また、日本の風土にあわない外材には化学処理が不可欠であり、非木質用材の多くもプ ラスチックなどの化学合成物資で占められています。 化学処理に使用する薬剤は人体に有害な物質が多く、化学合成物質も自然の検証を経 ていない、自然に戻すこともできない物質です。自然の物質循環からはずれた物質は焼 いても埋めても始末できない、資源浪費のゴミとなります。しかも、いずれもほとんど があと40年間しかもたない石油を原料とした、再生産できない、先のない物質です。 先々に人類や自然にどういう結果をもたらすかわからない「疑わしい物質」を使いま くっているだけではなく、それが日本の林業の衰退と森林の荒廃をもたらしています。 人工林は人が入り手入れをして使わない限り荒れます。 ◇林業と森林を再生させる運動の拠点に◇ 日本の木を使って家を造り森林を育てていくことが、林業と森林を再生することにな ります。それもできるだけ地元の森林の木を使うことが、その土地の物質循環にもかな っています。 したがって、今後は山猿塾、ことに創作住宅を地元の日本の木で家を造る運動の拠点 としていきたいと思います。創作住宅は自力で私の理想の家を実現したものですが、自 力建設それ自体が自己目的ではありません。 元来は地元の職人が地元の木を使って家を建て森林を育ててきました。そんな家造り のあり方を取り戻していくため、まず地元、丹波の森林組合、林業家、製材所、工務店、 大工などの職人に呼びかけていきます。 正月早々から地元の木を活用している工務店、製材所、職人などを探して電話で呼び 掛けました。幸い、相手も新聞報道などで山猿塾と私の活動を知ってくれており、関心 を持っていてくれましたので、話はすぐ通じました。 職業別電話帳で地元の建築業者を調べると、〈内地材専門建築業〉の看板を掲げ〈気 候、風土に合った丹波材の使用〉をうたっている工務店がありました。さっそく電話を かけて話しますと、社長は「一度訪ねて見せてもらいたいと思っていた」といい、その 日のうちにすぐ訪ねてくれました。 また、丹波材の間伐材などの小径木で製品を開発している製材所と工務店に電話をか けましたが、いずれも社長は「一度訪ねたいと思っていた」ということでした。兵庫県 立県民の森公苑を事務局にして「木の道ネットワーク」をつくり、兵庫県産の木材で製 品開発の研究会を開いていることもわかりました。 「東京の木で家を造る会」の経験も取り入れ、木材産地の丹波で地元の木で家を造る システムを再生させるとともに、全国の同種の運動とも連携して全国的な運動に盛り上 げていきたいと思っています。 その需要量からいって、建築用木材の自給率を向上させることが最も重要な鍵となっ ています。また、家だけではなく、生活全体に再生産可能な日本の森林資源を有効に活 用していくことが、資源浪費文明に左右された現代生活の正常化にもつながっていきま す。 ◇森林資源を生かして自然な暮らしを取り戻す◇ 創作住宅ではすでにいくつもの新しい実験を試みています。テラス兼用雨戸、木琴の 原理を活用した「呼び琴」などです。建築中の車庫やこれから建てる鶏舎も、合板に押 されて売れなくなっている野地板で屋根をふき、木酢液や木タールを塗っていつまでも つか実験する計画です。簡略に歯を入れ替えられる下駄も造り使用中です。 山猿塾はこうした実験の場であるとともに、自然とその産物に接する場にしていきた いと思っています。自力建築でも先行投資のつもりで電動工具一式を購入しましたが、 これらを活用してもらえるように整備しています。間伐予定の立木もいただき、間伐を 待っています。放置された間伐材も搬出の承諾をとっています。 現代の生活は、将来どういう結果をもたらすか不明の「疑わしい物質」に取り囲まれ ており、自然の物質循環からはずれた資源浪費のシステムに取り込まれています。山猿 塾が、いまの不自然な生活を見直す機会をつくる場になればと思っています。 目次へ MSHIBATA'S Home Pageへ 00004 ◆山猿塾だより◆183-私のビジョン FAGRI掲載日 98/01/11 (2)食糧自給率を向上させる ◇自分が食べる物くらいは自給自足する◇ 自分の食べる物くらいは自給自足する「第3種兼業農家」として、すでにスタートを 切っています。不耕起栽培で土手や荒れ地に大豆や小豆をまいて、予想以上の収穫をえ ました。サナギマンさんがこつこつと日本の果樹を植えてくれました。 これも、わが家だけの自給自足や不耕起栽培自体が自己目的ではありません。大目的 のスタート台です。自分が作った野菜や豆などがどんなにおいしくて安心か、作ってみ ればわかります。すべて自給自足できなくても、顔の見える人が作った食糧ほど安心で す。 自給率の低い食糧の順に大豆、小麦、ニンニクなどをつぎつぎと作付けしていますが、 日本全体の食糧の自給自足、自給率の向上をめざした実験です。一国の自給は、国内各 地域、国民各自の自給自足の体勢に支えられます。また、できるだけ小単位の地域の自 給自足が、環境に対する負荷も小さくなります。 不耕起栽培も、自力建築中から土地を遊ばせないよう最小限の労力で作付けし、作物 の生命力を試しつつ、多少でも食糧を自給する方法でした。この経験は荒れた農地の復 元や予想される食糧危機のさいの緊急作付けにも生かされるでしょう。さらに、最小限 の労力で収穫できる、この土地にあった作物の見分けにも役立ちます。表土の流失など を避けるため、『地球白書』も不耕起栽培を奨励しています。 ◇財界の農業政策とは正反対で◇ 日本の主要な大企業、つまり日本の多国籍企業を網羅した経団連は、政府に実行を迫 っている「農業基本法の見直しに関する提言」(97年9月)のなかで、〈国内自給の 必要性を過度に論じる意見がある〉などと、自給率向上をめざす論議を毛嫌いしていま す。自給率が向上すると、多国籍企業が世界で食糧転がしをする邪魔になり、儲けを増 やせなくなるからです。 この提言では零細な農家を〈第2種兼業農家や余暇・趣味的農家〉と呼んでバカにし、 〈農家の定義〉をごく少数の大規模な〈プロの農家〉だけに限定させようとしています。 国家資金をつぎ込む農政の対象も〈プロの農家〉だけとし、農地も零細農家から吐き出 させて〈プロの農家〉に集中させるよう求めています。 経団連の提言は〈様々なビジネス・チャンスを生む土壌作りが、今こそ農政に求めら れている〉という結論で終わっています。私は、財界のこういう農業政策を反面教師に して、それとは正反対の方向をめざしていきます。 農業・食糧が多国籍企業の〈ビジネス・チャンス〉となって、市場原理一本槍で食い 荒らされ、投機の対象になるのはごめんです。総合商社などの多国籍企業の輸入で自給 率が低くなった小麦を作付けしようとしてわかったのは、その生産基盤までが破壊され ていることでした。生き残っている製粉所を見付けるのも一苦労でした。 大企業が握っている大規模市場を目当てにした一品大量生産ではなく、まずせめて自 分が食べる物くらいは自給自足する多品種少量生産から実験を始めていきます。この方 が連作障害などもなく、農薬に依存しないで一定の収穫を確保できます。手間さえ惜し まず作物を有機的に組み合わせれば何毛作も可能で、土地生産性も向上できるでしょう。 経団連が淘汰をめざす〈第2種兼業農家や余暇・趣味的農家〉とは、その提言の文脈 から、まずは全農家の65%を占めている農産物販売金額が100万円未満の約222 万人の農家とみられます。 零細農家の淘汰政策のもとでも、また、経団連から〈余暇・趣味的農家〉とけなされ ても、最低限、自分の食い物ぐらいは確保し、将来を期して農地を死守していくことが 重要になっています。その場合も多品種少量生産が有効になってくるでしょう。 ともかく、自分が持てる土地の範囲で、最大限どこまで自給自足が可能か、実際に試 していきます。これは日本でどこまで自給自足できるかを実地に試してみる実験につな がっていくでしょう。 ◇作ってみてわかる農業の大切さ◇ 山猿塾の参加者にも、大いに〈余暇・趣味的農家〉の営みに加わってもらい、少しで も自分が手をかけた農作物が、どんなにおいしく豊かに感じるか、味わってもらいたい ものです。余暇でも趣味でもなんでもいい。自分で作ってみてはじめて生きる糧の食糧 のありがたみ、農業の大切さがわかります。 食糧はなんでもスーパーで買え、買えば料理も楽ですが、カネのありがたみしかわか りません。自分の食べる物くらいは作ろうとやりはじめてわかったことは「人間ってな んとよく食うのだろう」ということです。少々作ったのでは足りません。 またスーパーで買ってくれば簡単なのに、作るにはなんて手間暇がかかるのかという ことです。輸入商社は札ビラを切って海外で食糧を買いたたき、国内ではカネのありが たみだけで、自国の農業をないがしろしにしています。 しかし、世界的な食糧不足はすでに始まっており、世界的な食糧危機が予想されます。 カネよりなにより生きるために食べ物を求めて血眼になった時代を知る世代は、すでに 62歳になった私の世代でほぼ終わりでしょう。 ◇食糧危機にどう立ち向かうか◇ 土手と崖のササを刈った切り株のあいだに植えた、ナバナ、チンゲンサイ、水菜、エ ンドウなどを見て、KOHさんが「戦争中みたい」といいました。戦中末期、敗戦直後 の食糧危機には、道ばたの雑草や鉄道線路ぞいのペンペン草さえ食べました。 成長期に体験した食糧危機が私の原点のようなものです。配給の食糧では足らずにい つも腹を空かせ、あぜ道でイナゴを捕り雑草をつみ、山に入って木の実を採り、自然に 守られて都会の子どもたちのように栄養失調にならずにすみました。 都会でも田舎でも、そこに土さえあれば耕して食糧を自給しました。小学校のグラウ ンドも開墾してイモ畑になり、家の軒下にもカボチャをはわせたり登らせたりしました。 この時代には、農作物を作った経験のない人はおそらくいなかったでしょう。 ばかげた戦争が食糧危機の原因でしたが、つぎなる食糧危機は唯一目先のカネだけを 求めた世界経済戦争が原因となっていくでしょう。自然の原理を無視できない農林水産 業も、ただ市場原理だけで見くびり、有限の鉱物資源や化石燃料も食いつぶそうとして います。 それがいつまでも通用しないことは、少しでも農作物を作ってみればわかることです。 再生産可能な生物資源を、それが成立している自然の原理に従って活用していくことが、 人類の永続できる唯一の道です。産業のあり方も、生物資源を活用する農林業を基幹に し、生活のあり方も自然の理にかなったものに変えていくべきです。 なにをすべきかという理屈はとっくに明らかになっており、一人ひとりが決断と実行 のときです。なにができるか。山猿塾は実験の場です。私自身がなにができるか、実物 見本を作り出していくつもりです。ジャーナリストとしては、それが今後の実地体験取 材になります。 目次へ MSHIBATA'S Home Pageへ 00005 ◆山猿塾だより◆184-私のビジョン FAGRI掲載日 98/01/11 (3)自主的運営と今後の課題 ◇広い参加者向けの「通信」がほしい◇ 山猿塾はFAGRIの有志が中心になっていますが、拙著の読者、新聞報道で知った 参加者が増え過半数を占めています。パソコン通信上での情報の交換はあっても、FA GRI以外の参加者には、キャンプの案内を郵送するにとどまっています。 この双方に共通する意見交換の場が欠かせなくなってきました。例えば郵送による「 山猿塾通信」(仮題)のような会報が必要になっています。双方の接点になっているの は私たち夫婦だけであり、わが家で引き受けるしかないかとも思います。 だが、費用も手もかかり、これまでのようにすべて無料ということでは、負担がかか りすぎます。費用と手間をだれがどう負担し提供するのか。このことをふくめて、具体 化が可能かみなさんの意見を聞きながら検討していきたいと思います。 また、家族参加の場合、受け入れのわが家の都合をいくら書いても、家族には伝わっ ていないケースが多いです。パソコン通信は家族の中で孤立しているのかな? 家族も 見られる「通信」があれば、家族のみなさんにも伝わるのでは……。 ◇企画化した催しやキャンプも◇ 飲んで食って遊んでという特別の企画がないキャンプだけではなく、創作住宅見学ツ アー、収穫祭、麦秋キャンプ、間伐ボランティアといった、企画を明確にした催しも織 り込んでいきたいと思います。 また、創作住宅見学ツアーでは本宅に1泊して住み心地を体験してもらいました。企 画によっては、私たちの仕事や生活の都合も考慮しながら、適時、本宅の解放も考えます。 ◇限られた土地の有効利用と借地◇ わが家の土地約700坪を無料解放し、山猿塾の敷地として使ってきました。当初は 小屋の建築にも解放していましたが、ビニールハウスとひまわり小屋につづいて、作業 小屋、開拓小屋、本宅、車庫兼物置を建て、さらに鶏舎も建てます。 建物だけでも敷地の半分近くを占める状況になり、果樹と農作物の作付けで土地が足 らなくなってきました。わが家の2人分の自給自足を実現するだけでも、耕地が足りま せん。テントを張りキャンプを催すスペースも不自由になる状態です。 なにより現有の土地を最大限に活用することが重要ですが、それも限界が見えはじめ ました。一方で、ひまわり小屋と開拓小屋の年間利用日数は限られ、冬場は空き家並み ながら、薪や間伐材の置き場にも困り、作業小屋も物置場に変質しています。 隣接の下の土地を借りられれば解決しますが、持ち主に打診したところ、いい返事が ありませんでした。今年の大豆、黒大豆、小豆の作付け時から、山猿塾登り口の農道上 の水田約1反を借りる話になりつつあります。 この話がまとまれば、借地では主に小麦や大豆などの穀類を作り、現有の土地では自 家野菜を中心に作ろうと思います。そのため、作付けする作物によって順次、開墾して いこうと思います。 ◇希望者に貸し農園も◇ 登り口の農地を借りると、希望者には一部を市民農園のような貸し農園にすることも 可能です。また、少し離れた農地ですが、「山猿塾で市民農園のようにして使ってくれ ないか」とか「山猿塾にきている人で、だれかうちの田圃を使ってくれる人を紹介して ほしい」といった申し出もありました。 今後、減反の増加、耕作意欲の減退、高齢化の進行などによって、農地を維持してい くのも困難になる場合が続出すると思われます。その一部でも、山猿塾で農地として維 持していければすばらしいと思います。 ◇ひまわり小屋とキャンプ山猿塾の自主運営◇ 第3種兼業農林家は、毎日大忙しです。突発の見学や来訪のお相手で、作業や仕事も なかなか計画どおり進みません。キャンプ山猿塾では、Nack準備委員長にはたいへ ん助けられました。 また、Nackさんの自主的ひまわり小屋増築は、資材などが彼の個人負担になって いるのが心配です。今後はNackさん自身にもいろいろ計画もあることでしょうし、 自主運営の負担を分かち合う方法を検討していきましょう。 とはいえ、みなさんは遠方からの参加ですし、それぞれ勤めや仕事もあり、なかなか 容易ではありません。負担感や義務感がともなうようでは困ります。といって、なにも かも私がしゃしゃり出るのでは、山猿塾の趣旨にも反してきます。少しずつでもいいか ら「おれがこれをやる」という、自主的、積極的な名乗りを期待しています。 ………………………………………………………………………………………………… なお、まだコンピューター病(上腕外顆炎)の自力治療中であり、パソコンの使用は 仕事だけに極力限定しています。その仕事は原稿執筆と取材ノート代わりのこのたより とFARCDの書き込みだけです。 個別にメール、手紙をいただいたても読みますが、返答は失礼を覚悟で自粛していま す。山猿塾に関して返答が必要な場合は、メールや手紙ではなく、常連さんが返答して くれる場合が多いので、この会議室に書き込んでください。お願いです。 目次へ MSHIBATA'S Home Pageへ 00006 ◆山猿塾だより◆185-98前半期作業予定 FAGRI掲載日 98/01/12 ◇冬から春、夏に向けて◇ 今冬は雪ではなく雨が多く、予定の作業も狂いがちです。車庫兼物置も野地板の屋根 葺きを残したまま、鶏舎の建築にかかりました。これも雨続きで中断です。暖冬異変の 結果ですから、逆らわずに優柔不断に作業計画を変更しています。 というわけで、お天道様次第で変化していく、今冬から春、夏に向けての作業をつぎ のように計画しています。みなさんも気が向いたら、ぜひ一緒にどうぞ。 ◇建築作業と山仕事◇ 鶏舎建築資材としてまだいくらか間伐材が必要であり、備蓄していた燃料用間伐材も 不足してきました。水がしたたるような生の間伐材も薪にし、枯れた薪に混ぜて燃して います。1つには木酢液を採りやすいと思ったからですが、暖冬で煙突の冷却が弱く、 木酢液は当てはずれになっています。 請け負っている山猿塾手前の林道脇の約100本の桧を間伐、搬出します。これが終 われば、約100メートル上の集落、市ノ貝の区有林で放置されている間伐材(昨年暮 れに伐採)約400本の枝を払い裁断して搬出します。 以上の間伐材は、当面必要な建築用材や薪として使うだけではなく、大部分を参加者 の木工などの用材、つぎの冬の燃料用などとして備蓄します。また、鹿、イノシシの防 除網を張る杭、稲城などとして使用します。 暖かくなってマムシが活動し、イノシシ防除の電気柵の補修が始まる田植えまでに切 り上げます。残った間伐材は、稲刈り後、電気柵の通電をやめてから搬出します。 ◇農作業◇ 不耕起栽培の小麦が雑草やササと競っています。雑草などの成長を見ながら、必要が あれば刈ったあとで、山にして堆肥化しつつある樹皮、オガクズ、雑草を草抑え兼肥料 として敷きます。 小麦の収穫後は順次、開墾できるところでは樹皮を地中に埋め込みます。3月には鶏 の飼育を始めますので、豊かな肥料、鶏糞も施肥します。 冬・春野菜を収穫したあとは、順次耕して野菜類の播種を行います。地元の農協につ ぎの春まき種子を注文します。 1)トマト=ホーム桃太郎 2)ナス=千両2号(ほかにサナギマン・ナスから種子採取) 3)ピーマン=伏見甘長とうがらし 4)キュウリ=夏すずみ 5)スイカ=瑞祥 6)キャベツ=初秋 7)白菜=無双 8)大根=四月早生 9)カブ=京小町 10)ニンジン=向陽2号 11)ツケナ=楽天コマツナ 12)ネギ=九条太 13)ホウレンソウ=サマーライダー 14)スイートコーン=カクテル600 当地に適した種子を作っていくため、交配種はできるだけ避けたかったのですが、残 念ながらほとんどがタキイ交配です。また、種子は注文しても畑が不足です。借地に移 植する苗を作ることになりそうです。 借地の予定の畑には、大豆、黒大豆、スイートコーンなどのほか、上記の注文種子で 用意した苗を何種か定植することになるでしょう。以上は参加者のみなさんの希望があ れば、適当に追加、変更していきます。 ◇鶏の飼育◇ いま建築中の鶏舎は、天敵のイタチと野良猫の対策が頭痛の種でしたが、いろいろ考 えた末、番犬の習志野権兵衛にも一働きしてもらう計画にしました。思い切った高い床 にし、その床下で24時間、天敵番をしてもらうことにしました。 鶏舎が完成すれば、Nack製塾長邸とともに、鶏舎の床下に引っ越す予定です。鶏 舎の周辺にワイヤーを張って鎖をつなぎ、見回り役も引き受けてもらう予定です。参加 の子どもたちも、ゴンとともに鶏君をかわいがってやってください。 鶏舎には放し飼い用の運動場を付け、移動式網戸も作って、適時どこででも土や雑草 をついばめるようにします。自然豊かな飼育環境で、きっと健康な産卵を始めるにちが いありません。雄も一緒に飼い、受精卵を自然孵化させていく予定です。 孵化期間以外の受精卵は、自家用にするだけではなく、「物価の優等生」ではない健 康優良卵として、希望者に高額で販売します。よく汗をかいた参加者には、お持ち帰り の土産です。ただし、産卵予定は今年後半期になります。 理想の自然に準じた暮らしへ、今年はさらにもう一歩前進です。充実した毎日、毎時 間です。本業のつぎの単行本のテーマは、一人静かに醸成中です。 連携が待たれます。 目次へ MSHIBATA'S Home Pageへ 00008 ◆山猿塾だより◆186 雪山に登りたい FAGRI掲載日 98/01/14 まとめ書きに熱中していて、返事、コメントが後回しになってしまいました。 サナギマンさん(MES10/11998、12017) 今冬は雪がさっぱりで、苗木の方は心配無用ですが、私は当てはずれです。積もった ら近くの山を歩こうと思っているのに、あっというまに解けてしまう程度しか積もりま せん。 昨年でも近所の農家の主人がエンドウが雪に圧されてしまったといっていたのに、今 年はその心配もいらないおかしな冬です。雨ばっかしです。今夜も雨が降ってる。朝に は雪になってくれよ。畑のエンドウは崖や土手の場合と違い、手がなくても雑草におさ れる心配はなく、当分はだいじょうぶでしょう。 いろいろ果樹がそろっていきますね。このあたりでも一番種類が多くなります。サナ ギマン果樹博物園に改名する必要がでてきそうです。 KOHさん(MES10/12001,2,3) 正月早々から薪つくり御苦労さんでした。どんどん灰にして野菜にやっています。備 蓄分はごくわずかになり、取り立ての桧を燃しています。少しでも乾かしながら燃そう と、土間のあがりかまちやベンチの下に積んでいますから、新築当時よりも桧の香りが 充満していてすごいです。 私も藁がほしいのですが、こちらでは入手困難です。集落で1軒だけ手刈りで稲城に かけているところがあるにはありますが、もらい手が多く新入りには分譲は無理そうで す。ヒモには藤もいいですが、ひまわり小屋前に自生している桑の樹皮も最適です。戦 時中は学童強制労働で採らされ、衣料原料として供出させられたくらいです。 また、とくに木綿のぼろぎれで編んだ草履は、柔らかくて丈夫で長持ちします。上履 きに最適です。私も下駄は造ったので、機会があったら市販のスリッパではなく、これ を造ってはきたい。 拙著の〈荒野地〉には意味の説明が抜けていましたか。付けたつもりになっていまし た。用材で「荒」、あるいは「粗」が着くと、未加工を意味するようです。反対に、例 えば化粧野地といえば、カンナをかけた野地板です。わかる人だけわかるような専門用 語はいやですね。説明不足でした。 Nackさん(#07) ついに第1段階のスタートですね。私までなんだか緊張してしまいます。だが、まあ、 なるようになっていきますよ。てなことをいいながら、この年になっても財布の方は一 向になるようにならない。 やはり定期的な定額収入が消えるのが不安の種ですね。これも心配したからって入っ てくるというものじゃなし。なにごともやってみるしかないです。Nackプー太郎化 は、間違いなく山猿塾10大ニュースの1つです。がんばってください。 おっと、ひまわり小屋の増築が〈改築〉に進化したみたい? ひまり小屋占拠となる と、それまでにベンツが安心して通過できるような丸太橋に補強しておく必要がありま す。間伐桧を全部、灰にしてしまわないで、大きいのを橋に使おう。 鶏舎の棟上げを終えましたが、鶏舎は車庫兼物置(といってもまだ見てない?)と同 様に、間伐材と野地板だけで建てる予定です。いまのところ間伐桧が豊富で、増築or 改築の材料にも使えます。これは使えば使うほど安くつきます。なんでこれがタダなの かと怒りつつ、熱と灰にしています。 4月ですか。静かな山猿塾もにぎやかになりそう。3月からは鶏32羽(2♂+30 ♀)が「クックヌードルドウ」「クッ、クック」か。4月からはプー太郎さんが「カン カン」やりだすか。無理のないようにお願いします。 目次へ MSHIBATA'S Home Pageへ 00012 ◆山猿塾だより◆187 またまた鹿が来襲 FAGRI掲載日 98/01/24 Nackさん(#10) 〈今後のことは14番に少しずつ書いて行こうと思ってます〉ということは、会議室 の表題どおり百姓をめざすということですか? 決断の心のウチを知りたいが、ほかの 会議室をのぞくのはコンピューター病の自力治療のため自粛中だから、残念。でも、4 月には直に聞けますね? サナギマンさん(#11) そうだ。山猿塾も5周年になっていたんですね。ゼロから始まって、果樹も私が植え たサクランボ、自生の栗を加えると種類はちょうど1ダースになりますね。私たちが引 っ越して定住してから、こんどの4月で丸3年です。ここまでよくやってきたものです。 梅の花が2輪ばかり咲きました。暖冬の影響でしょうか。でも、ようやく冬らしくな ってきて、ふくらみかけていたつぼみはちじかんだ気配です。 ◇またも小麦がやられた◇ 小麦がのびてきました。一度は鹿にやられた上の田の小麦も、盛り返しつつあります。 麦踏みに行くとのメールももらっています。これは楽しみと思っていたら、3日前、今 度は下の田の小麦が鹿にやられました。 マコさんがキャンプで最後にまいてくれていた畦(土手)のまぎわの小麦が一番よく 育っていたのに、育ちのよいところはみんな、きれいに食われてしまいました。土手の 途中までは鹿の防除網をはって、これでだいじょうぶと思っていましたが、甘かったよ うです。 鹿は小麦が大好きです。防御網を張っていなかった崖のような土手を上ってきた足跡 が残っていました。建築中の鶏舎の真ん前です。鶏舎の前まで防除網を延長し、鶏舎の 前からは、サナギマン果樹園を囲むようにコナラの下まで金網を張りました。 鹿がその気なら、こっちも本気で向かっていきます。反対に楽しみも増えました。こ のさい鶏舎の周りのサナギマン果樹園、イチゴやビワ、小麦などを植えている斜面も含 め、100から150坪ほどを金網60mで囲むことにしました。 ここに鶏と番犬のゴンを「放牧」します。ゴンは鶏を狙うイタチ、キツネ、タヌキの 見張り役です。鶏もゴンに集まってくる山ダニや果樹園などの雑草も食ってくれるでし ょう。ただし、柿などの果樹がまだ低いので、鶏がつつく可能性があり、その対策が必 要になるでしょう。 囲い内のタマネギ、小麦、イチゴなどの作物は、私たちと鶏で分かち合います。たぶ ん、ほとんど全部、鶏の卵や肉を経て、私たちの胃袋に収まるでしょう。 ちょうど薪不足で間伐、搬出していた桧の丸太が数十本ありましたので、杭には不自 由しません。杭と杭の間には立派な桧の丸太を敷いています。それにしても鹿やイタチ などがつぎつぎと仕事を増やしてくれます。囲いに使った分は燃料不足になるわけで、 その分、また間伐に精を出さなければなりません。 間伐も延長線を伸ばして電動チェンソーが使える範囲を超えました。やむなくエンジ ンチェンソーを購入して使っていますが、これはコンピューター病の腕に応えます。山 に入るときだに限定して使うようにしました。 ところで重大なヘマをやってしまいました。ミカンとスダチのトゲに刺されながら、 土手のまぎわに丸太を敷こうとして、かついでいた数十キロの桧の丸太をスダチの真上 から落としてしまいました。崖に落ちそうになった私は助かりましたが、スダチは瀕死 の重傷です。サナギマンさん、ごめんなさい。 ◇寒さとともに木酢液も順調に◇ ようやく冬らしくなり、暖冬で見込み違いだった木酢液も、薪ストーブの煙突から順 調に採取できるようになりました。この調子でいけば、新たに車庫や鶏舎の板屋根にも 塗れる分量が採れるかもしれません。 今日24日は夕刻から雪が降り始め、早めに外仕事を切り上げ、積雪を見込んで白菜、 京水菜、グリーンボールなどの自家野菜を多めに収穫しました。樹皮、オガクズ、雑草 などの堆肥、木灰などで育ったわが家の野菜の味は格別です。ミネラル一杯といった感 じです。 ただいま午後9時、積雪は4、5センチ。30センチ以上積もれば、明日はゴンを連 れて山を歩きます。ハンターに銃殺されないように気を付けよう。 目次へMSHIBATA'S Home Pageへ 00015 ◆山猿塾だより◆188 4度目の鹿被害 FAGRI掲載日 98/01/28 ◇小麦を狙い撃ち◇ 昨夜、またしても小麦を鹿に食われました。Nackさんが厚まきしてくれていた開 拓小屋の前です。ここはキャンプ時代から生肥の埋め立て地で土地が肥えており、小麦 も順調に育っていました。が、ついにここもやられ、やられていない小麦はもはや本宅 周辺の崖にばらまいたものだけになりました。 鹿は明らかに小麦を狙っています。しかも育ち具合を山から観察していて、ここぞと いうときにやってくるようです。同じ集落のわが家とほぼ同じ高度で山に囲まれている 元町長(元農業改良普及員)宅でも、連作障害を避けるために小麦を作って青刈りし緑 肥にするつもりが、少し小麦が伸びると鹿がやってきて、緑肥にもできなかったという ことです。 ここでは小麦自給の目先の敵は鹿です。鹿にやられたのはこれで4回目ですが、最近 の3回はすべて小麦が被害を受けました。残念ながら、いつも後手後手の後始末に追わ れています。 鹿の防除網を張ってから、タヌキがタヌキの餌場に現れなくなっていましたが、昨朝 にはタヌキが餌場にきていました。雪の上の足跡を追跡すると、ビニールハウスの裏の がらくた置き場の下の崖に新しい道ができていました。 そこは私も草刈り機でササを刈るのは危険とみて敬遠していたところです。登ってこ れるのは猿くらいだろうと思っていました。だが、ササのトンネルになった新しい道が できていました。タヌキが付けた獣道を、鹿がたどってくるかもしれない。そんな予感 はしましたが、この崖でササを刈って防除網を張るのは難儀です。 そして、今朝、昨夜の鹿の食害を発見。コンチクショウッ! と、草刈り機を持ち出 し、がらくたを最小限取り除いてササを刈り、杭を打ち、防除網を張りました。ついで に、上の田の防除網も延長し、車庫兼物置の柱まで張りました。 あと残るは本宅周辺だけですが、家まで防除網や金網で囲いたくありません。Nac kさん(#13)のいうとおり、人間が柵のなかで暮らしている、おかしな具合です。山中に 出現した「人間の檻」という感じです。山猿塾はそこらじゅう鹿の防除網と金網の迷路 に一変しました。 豊富だった間伐材も使い果たしました。杭だけでも60本以上使い、太い桧は金網押 さえ用に敷いています。しかし、これも、私たちが生き残るための巣作りです。だんだ んと耕作境界が後退しているいま、私たちまで後退するわけにはいきません。 小麦も絶滅したわけではありません。果敢にまた伸びてくれることでしょう。これま では鹿に小麦を御馳走してきましたが、今度は私たちが鹿肉を御馳走になる番です。今 日も丸1日かかった鹿対策では、多少の仕掛けを作りました。 ただし、一番仕掛けにかかる可能性が高いのはタヌキです。それでも、タヌキならタ ヌキ汁も可能だが、ハンターが連れてきた犬でもひっかかったらどうしようか。いずれ にしても、毎日の見回りはこれまでは手ぶらでしたが、これからは山刀とピッケルを持 参しよう。お命いただきだ! というわけで、食うための作物を守るだけでもたいへんです。サナギマン果樹園のス ダチにも重傷を負わせましたが、御勘弁を。スダチは丸太の下敷きになり、根元から真 っ二つで、生き残ったのは3分の1くらいです。根まではやっていません。 サナギマンさんが掘ってくれた排水路も、その上に金網を張りましたが、明らかに下 の森からの獣道になっています。サナギンさん、スダチのそばの水路を石で埋めて獣道 をふさぎますがあしからず。 目次へ MSHIBATA'S Home Pageへ 00016 ◆山猿塾だより◆189 人間の檻も破られる FAGRI掲載日 98/01/29 ◇甘かったはにかみ◇ そこらじゅうに鹿の防除網を張って「人間の檻」だなんてはにかんでいましたが、そ れも甘いはにかみにすぎませんでした。そんな人間の檻も破られてしまいました。もっ と確実な野生動物対策が必要です。 今朝はピッケルを片手に雪のなかを見回りました。ヌタ場のそばのビニールハウスか らヌタ場に向けて獣の足跡を発見。タヌキの餌場には餌を漁った形跡はありませんでし た。足跡は山のなかで消えていました。 鹿の防除網はビニールハウスの横で水場に出たり山に入ったりできるように防除網を 開閉できる構造にしています。いわば防除網のドアを確かめると、ちょうど足跡が通過 しているあたりが破られていました。 防除網は黒いナイロンヒモで編んだ物で、製品の説明チラシによると鹿に破られにく いとありました。しかし、ヒモを食い切ったあとと足跡から見て、タヌキかキツネの類 の仕業とみられます。これまでの観察結果から推定して、タヌキである確率が最も高い です。 ここは鹿も通過できるほどの大穴になっていましたが、下の田の獣道の上の防除網も ヒモも2本、食い切られていました。 ◇野生動物「連合軍」にどう対するか◇ 鹿だけではなく、他の野生動物とのかかわりもふくめて、対策を再検討する必要があ ります。前回に書きましたが、崖のササのトンネルの道をタヌキが拓き、その道を通っ て鹿が小麦を食べにやってきました。今度は他の野生動物が破った防除網から鹿もやっ てくるにちがいありません。 否応なく、いわば野生動物の「連合軍」とどう立ち向かうかということになります。 とりあえず、破られた防除網の穴に簡略な罠を仕掛けておいて、防除の方法、野生動物 との住み分けの対策を再検討します。 いま考えられるのは、防除網の上にさらに金網を二重に張るという方法です。ただし、 これでは経費がかかりすぎ、草刈りなどのさい脱着に手が掛かりすぎます。イノシシ対 策も兼ねた巻きトタンを張る方法もありますが、やはり高く付く上に景観上もどうも……。 電気柵はササのなかには向きませんし、周辺に伸びてくる雑草の管理がたいへんです。 犬を何匹か飼って人間の檻の中に同居させるという手もないではないですが、これも 餌代や管理が容易ではありません。自然に学ぶ山猿塾も自然に生きる野生動物連合軍に 泣かされるの巻です。住む家はできても、自らの食糧の自給自足が容易ではありません。 目次へ MSHIBATA'S Home Pageへ 00019 ◆山猿塾だより◆190 まずは番犬の放牧 FAGRI掲載日 98/02/06 春分の日の3日から、あたりでウグイスが鳴き始めました。梅のつぼみもふくらみ2 分咲きというところです。小麦も伸び始めましたが、鹿に食われ放題です。鹿の防除網 の食い破られた穴に針金の罠を仕掛けても、その隣がまたすぐ食い破られる始末です。 こうなれば防除網の上に金網を張るしかありません。防除網は草刈りのさいには簡単 にはずせる仕組みにしていますが、金網をその上に張ってしまえば、網の脱着は無理に なります。 いまはとにかく鹿から小麦を守らなければなりません。先のことはまた考えることに します。いま小麦を守っておけば、鹿に食われてかえってたくましくぶんげつ(分蘖) していくかもしれません。 鶏舎は屋根にルーフィングを張り、イタチを防ぐために高床式にした床を張ったとこ ろで中断です。鶏舎を取り囲む鶏の運動場は鹿の防除も兼ねて金網を張り巡らしました。 それが完成した今日6日、番犬のゴンに先住権を与えるため、まず、彼を「放牧」しま した。 まず彼が鶏舎の周辺を知りつくし、いずれ鶏を目当てやってくるイタチなどの野生動 物に対して、彼が自分のテリトリーを侵されたと感じることを期待しての「放牧」です。 だが、極楽トンボの老犬にそんな野生がよみがえってくるかどうか? 昼食後に放牧しましたが、鎖をとかれて檻の中の自由にとまどっていました。それで も檻の中のあちこちを嗅ぎまわり、サナギマン果樹園の果樹一式に放尿してまわりまし た。その観察が楽しい一仕事です。 注文の金網が届きましたので、明日から上中下3枚の畑の周辺に張ります。杭は防除 網用に打ってありますが、金網押さえに敷く丸太がかなり必要です。請け負っていた桧 の間伐、搬出はすでに200本前後になりました。 あと数十本は残っていますが、金網を張り終わればこれも間伐します。そのあとは集 落の山に放置されている間伐材約400本の搬出にかかります。燃料用の薪が底をつい てきただけではなく、借りる田圃にも防除網やことによっては金網を張り巡らす必要が あるからです。 毎日、働きまくっています。農作業より山仕事です。春の種蒔きの準備は遅れそうで す。でも山仕事は男の仕事です。痛快です。足腰の力がまたいくらか強くなってきたよ うに思います。やはり男は力仕事に挑戦しないとだめですね。 目次へ MSHIBATA'S Home Pageへ