愛しのIBM JX
こんにちは、皆さん。
アプティバで有名な日本IBMが家庭市場向けに発売して、あの98の前に敗れ去ったIBM JXというPCをご存じでしょうか。僕は、10年以上も前に発売になったこ
のPCを今でも使っています。このPCについて、僕がPCT会報('93 5/6月号)に発表したエッセイです。
我が愛しのパソコンJXとともに
Makoto Shibata
Nifty ID:PFD02121
PCT会員のみなさんこんにちわ。DOS/Vの話題が絶えないと言うのに次期O
SはウインドーズNTかOS/2か、その本命をめぐって賑やかな昨今ですが、森進
一のあのJXはもはや闇の彼方に忘れられてしまったのでしょうか。訳あってJXを
4台も保有することとなった私としては忘れようとしてもわすれる事ができない。J
Xのことについては「さらば愛しのPC-98」(大陸書房刊)の中で岩本健一さんが
書かれているのを始めとして数多くの方が名エッセイを発表されておられるのに、更
にPCT会報に我が拙文を載せるのを躊躇します。しかしJXと過ごした我がパソコ
ンライフを長く記憶に留めるため、PCT会報の紙面を汚すことをお許し願います。
約10年程勤めた会社を止め、 知り合いのところで次の仕事の構想を暖めていた
1984年(昭和59年)の年末にあのJXが発売になりました。前の会社、日本アイ・ビー
・エムの特約店でもありましたが、そこで名機IBMシリーズ/1のソフト開発の仕
事をしていた私はIBM初の家庭市場向けパソコンに興味があり、早速ダイエー系列
の販売店の店頭まで行ってJXを見たものでありましたが、値引きの悪さに購入まで
至りませんでした。
やがてアスキーがパソコン通信の実験を開始、ついでNECもPC-VANの無料
サービスを始めパソコン通信の幕開けとなりました。と同時に私も両方のIDを取り
来るべく時代に備えました。この年、1985年(昭和60年)夏に念願のパーソナルコンピ
ュータJX3(128KB 拡張モードカートリッジ無し)を購入、自前の初めてのパソコン
が持てました。(ちょうど米国IBMでは PCjr の生産中止を発表したと言うことも
知らずにであります。)その時買ったのが日本語DOSとゲームシリーズ算数大冒険
です。 後になって文節変換プログラムや拡張漢字フォント、TURBO PASCAL V4.0も購
入しました。
JXを活用する事もなく時は流れ、近所の子供にパソコンでも教えようかと思い立
ち'86年末に知人の所を去りました。 子供に教えるにしてもパソコンがなければと、
新しく1台はPC9801VXを購入し、更に1台中古のPC9801F2を大阪日本橋で買い求めま
した。その時です。なにげなく入ったJ&PテクノランドでJX5がディスプレイと
セットで12万で叩き売りしているのを見てしまいました。翌日36万を持って再び
J&Pまで行って3台も買ってしまったのです。 時に1986年 ( 昭和 61 年) の 12
月でありました。
ソフトの無いJXを4台もかかえて、子供相手であってもそう巧くいくはずはあり
ません。いくらIBM-PCのソフトが動くと言っても、英文カートリッジやPC-DOSを4台
分も購入するわけにはいきませんし、子供に英語モードでは。
そんなある日、 PCWの1988年5月号で「パブリックドメイン・ソフト傑作選」の
特集記事が目にとまり、SIMで楽しむPDSに魅せられてしまいました。早速モデムを購
入しPC-VANにアクセス、 ところが通信ソフトといえばBASICで打ち込んだもの
しか手元になく、どうやったら目的のPDS(今はオンラインソフト等と呼ばれているよ
うです。)が手にはいるのかとPC-VANの中を右往左往。 やがて XMODEM という
プロトコルを持ったソフトが必要で、まず ISH.BATをテキストでディスクに落として
DEBUG でISH.COM に復元する。 更に SKYDEMO2.ISHというのを受信してISH.COM で復
元して西田さんの通信ソフト SKYDEMO2.EXEが得られることがわかりました。 試行錯
誤の後に PC9801 でSKYDEMO2.EXEが得られ、その後 SKYFREE.EXEとSIM を手にするこ
とができました。 ここまでくればしめたもの、後はつぎつぎとPDSをダウンロードし
続けました。 EDLINしか持っていなかった私は何をおいても、まずエディターという
ことで 98 用のEMACS を手に入れました。SIM を使って見たIBM-PCのソフトの世界は
新鮮でカラフル、驚くばかりでした。次第にJXでも同じ様に味わえないものかと強
く思うようになりました。
PC-VANの中をさまよっている内に Procommなるソフトがあると言う事を知り、
入手したい一心ではるばる Herat-Stationにもアクセスしました。 PC9801VX で入手
した Procommは5インチだったので近くのショップで3.5インチにしてもらいました。
こうなるともう病気ですね、 Telecomm-Boardや Collie-Yokohama更には FPUCにまで
アクセスし出しました。さらに Village Centerから PC-SIGの PDSを購入したりで完
全に IBM の世界にのめり込んでしまったのです。 それにしてもJX拡張モードで動
くエディターになかなか巡り遭いません。 やっとの思いで PC-VANのグローバルビレ
ッジの自由流通ソフトである Emacs がJXで動くことがわかり、 以来 Kermit と共
に愛用してきました。その他 IBM-PC の世界を楽しませてくれたソフト、覚えている
ものを挙げますと、次のようなものです。
エディター Qedit,Pc-Outline,Galaxy,Mind-Reader
通信ソフト Procomm,Telix,Com-And,Qmodem,Skyfree
表計算など Aseasyas,PC-Calc,PCFILE+
言語 Visible-Pascal,Turbo Spirits,Small-C,LadyBug
グラフィック PC-Art,Cshow,Skyplot
ゲーム他 Tetris,Pinball Rally,Right hand Man,PianoMan
PC-Musician,JukeBox,OverView,List64,Files
小物 JSHOT,CHSYS,JX8040,JXDUO(大物),BGPAL,AutoView etc.
しばらくは PC-VANの IBM CLUBや IBM パソコンクラブの会報を眺める日々を過ご
しておりました。 ComPort('87 SPRING NO.6)の JXユーザー訪問で、近森商店のご主
人である近森伸夫さんに誌上でお遭いしたのもなつかしいです。 JX は売れなかった
けれど、会報はじめグッズをもらったりで当時はIBM もユーザーフレンドリーだった
んだなぁ。 そうこうしている間に ASCII-NET の中に ができたとの案内を
もらい即日申込ました。2、3週間して待望のIDが届きました。その2日後に初め
て PS-NET に書込みをしました。1988年12 月21 日のことです。それにしても既に1
ヶ月も前からの書込みがあるではないか、この人達はどうしてそんなに早くIDが取
得できたのか今もって謎であります。
拡張メモリー、これは \25,000 も出費したのだ、 その後 \2,400 で入手できるこ
とが判明したけれど、 それで512K にし更にPC-DOSと英文モードカートリッジを購入
したものの、IBM-PCのソフトのほとんどがメモリー不足で走らない。なんてことだ。
同じように困っている人がいて、ネットでの Q&A で PCJRMEM.COM がいることが判明。
それで厚かましくも YanaKen さんにメールをだしてご指導いただいたこともありま
した。もっともYanaKen さんはお忘れでしょうが。その節はありがとうございました。
その後ネット上では「JXケチケチ作戦」や「JAX計画」が展開されたのはご承
知のとおりです。 CHSYS や JX8040 を Collie Yokohama から仕入れてJXの環境を
整えたり、多くの JX ユーザーに出会えた楽しい思い出のネットでした。極めつけは
JXDUOでしょうか、ホットキー一発で日本語モードと英語モードに切り替わるなんて、
このようなものを考えるなんて森田さんってすごい人だと思います。余談ですが楽し
い思い出の中に悲哀もあります。ある日、当時住んでいた団地の5階から女房がモデ
ムを投げ棄ててしまったのです。パソ通にのめり込む私への反逆で、結果は無残なモ
デムの姿でありました。皆さんもお気をつけください。
人間欲は増えるばかり、使い勝手がよくなってくると更にハードディスクも付けた
くなってくる。純正は高価な上、もう手にはいらない。PSNET のログを見たけれど自
分では出来そうにない。そんな時、なんとPC-VANで 98LT にSPC とかいうものでハー
ドディスクをつけようと言うプロジェクトが始まっていた。しめしめと、失敗しても
いいではないか、 JXにつなげたら儲けものと参加することにしました。 なにやら
NIFTY のFDEVICE で SPC に関する情報が得られると聞きつけて早速NIFTY に入会し
たのであります。
NIFTY のイントロパックに \1,000 分のアクセス料がふくまれていて、AHHAJXのロ
グを落とすのに使ってしまいました。暫くして我がJXにも目出度くSCSIの40MBのハ
ードディスクが繋がりました。文節変換の辞書をハードディクで使いたくて JX のサ
ポート電話に連絡して最新バージョン、 と言っても '85 版を送ってもらったけどダ
メでしたね。サポート電話は今も健在なのだろうか。 そして嬉々として TELIX で通
信していると FIBM で PCT の次の会報 ('91 年 7/8 月号) で JX の特集をやると聞
きつけ、これまた早速入会しようと郵便振替で 3,000 円( 現在は \5,000)を送った
のであります。(PCT の事は IBMパソコンクラブ会報などでよく知っておりました。)
地方在住ではさしたるメリットもないのに、こういう顛末で晴れて由緒あるPCT
の会員にしていただいたのであります。しばらくして会報が届きました。なんとあの
森田さんが執筆されているではありませんか、「わがJXとの交友記(奮戦記)」隅か
ら隅まで読みましたね。まさに友達と言うにふさわしいJXとの交友ですね。その記
事から移植のノウハウを吸収しようとしてチャレンジしましたけど、うまく行きませ
んでしたのでそのままになっています。手元にあるもので動くのは Vz1.53 のみ。FD
なんかほしいこの頃ですが。最近号によると森田さんのシステムは DOS5、SCSI400MB
とか、すごいの一言です。うちのもせめて 200MBにしたいなぁ。
時は更に流れ世はDOS/Vとか言うOSで動く互換機がもてているそうな。それ
で仕方なく我が家にも 5510T が入り、IBM-PC の世界を堪能させてくれた愛しのJX
の出番がすくなくなりました。しかし、まだまだ現役です。 PC9801F2 は甥のところ
へ、JX4台のうち JX-3(キーボード無し) は電子友人のところへ、 JX-5のうち1台は実
家へ、手元の2台(512KB SCSI 40MB+EPSON RP80II)はまだまだパソ通でがんばらせま
す。いつかは役に立つ日がくるであろうと買った JXテクニカル・リファレンス も奇麗なまま取っ
てあります。 (ハードディスクを繋げるとき以外、よう使いこなせなかったと言うの
が本当のところですが。)IBM-PCの世界へ私を誘ってくれた PCW 誌も書庫に入れて大
切に保存しています。あぁ、PCW 誌休刊、大陸書房倒産、さらには定期購読のマイク
ロマウスのIBM-PCマガジンが遅れていると思って、出版元に電話したら休刊とわかっ
たのが今年の3月です。 アンケートに答えてモデムと通信ソフトをもらったりした
PS-NET も 1991 年11 月で発展的解消となり、私の活動 (?)の場も NIFTY、 PCT,PC-
VAN となりました。おっとまだありました、NTT の請求書が恐くてめったにアクセス
しませんが、Wind-Netと B&B 下北沢です。 この間、 4月に1年半ぶりくらいにB&B
下北沢にアクセスすると会員から抹消されてましたがシステムが新しくなったんでし
ょうか、きっと。
DOS/Vの出たついでに一言、DOS/Vと言ってもOADGなどが囲い込みの
域を出ないのなら98の天下は当分続くのではないでしょうか、残念ではありますが、
いやいやそうではない、IBM-PCの素晴らしき世界を知らずに過ごしている98
ユーザーはある意味では不幸ではないだろうか。かたや日本アイ・ビー・エムさん、
いろいろと経費は削りたいでしょうが、IBMパソコンを普及させたいのなら、原点
に立ち帰ってあの熱気を浴びたPS-NETみたいなものを個人ユーザー向けに創る
気はないのでしょうかね。まぁ、当時とはユーザーの層、数が桁違いでしょうけれど。
とにかく商用ネット、ことに NIFTY は金がかかりすぎます。 1年程アクセス止めれ
ば 55NOTE が手にはいります。 JX では80万以上、パソコン全体では一体いくら使
ってしまったのだろうか計算するのも恐いけど。
随分と紙面を汚したようですので、そろそろおしまいにします。いつかはクラウン
ではないけれども、いつかは PCT の例会へ参加したいと願っております。 地方在住
の者にとりましては、PS-NET が無くなった今、PCT 会報は貴重な情報源です。 (前
のところで、地方在住者にはさしたるメリットが無い、と書いているように見えたと
したら誤植です。)私の拙い文を見られた方には、投稿の勇気が出たことと存じます。
どしどし紙面を賑やかにしてやってください。また JX に関する有益な情報ありまし
たら教えてやってください。
こんどは近森さん、下元さんに続いてMY ROOMでも書かせていただけたらと
思っています。