つれづれ日記

2000年12月

21日
いつの間にか12月になり、20世紀もあと10日ほどだ。
神戸ではルミナリエの真っ只中で、夕方ともなると、仕事で利用するJR元町駅は人々でごった返している。

久しぶりのページ更新であるが、師走、すなわち先生も走るほど多忙な時期らしい。というわけで、私も忙しくしていたわけだ。 従来の銅線の電話回線で超高速のインターネット接続ができるDSLに関する仕事をしていたからである。来年はDSLで一気に盛り上がることは間違いない。なんせ、ISDNの10倍から24倍も高速なので、音楽や映画のコンテンツのダウンロードにはもってこいだ。 NTTの広告にだまされてはいけないのだ。そろそろ、パソコンで年賀状から卒業しませんか。


2000年11月

18日
会社勤めをしていたころよく通った大阪梅田にでかけた。
インターネットとオリンピックの応援が取り持つ縁で知り合った、ごく内輪のちいさな会に参加するためある。

予定の時刻に到着すると、すでに全員集合していてシドニーに出場したM選手を囲んでデジカメで写真を撮っている最中であった。私も仲間にいれてもらい、まるで古くからの友達のように、美味しい料理とワインを前に、オリンピックの話題は勿論、インターネットや料理などなど楽しい時間を過ごさせていただいた。

インターネットがなければ、世代やいろんな枠を超えたこのような素敵な出会いは経験できないことだろう。マスコミはインターネットの影の部分をセンセーショナルに報道しがちであるが、もっとプラスの面を取り上げるべきだろう。

Mさん、Yさん、Oさん、Sさんまたお会いしましょう!

3日
知人からインターネット接続できないとヘルプがあったので出かけた。

ルーターを使っているのだが、初心者向けに自動接続の設定にしていた。何らかの理由でその設定が消えたためである。おそらく、触っているうちに気づかずに設定を変えてしまったのだろう。

初心者にはバカチョンも駄目な場合があるということだ。現状ではCATVインターネットがお勧めかもしれない。

ルーターは通話の情報を記憶してくれる機能があり、威力を発揮すると思っていたがKDDIという会社には通用しないことがわかった。

というのは、この知人は通話した覚えのない電話料金をKDDIから請求され支払ったという。ルーターがアリバイになるはずと9月中旬に使ったとされる5件の通話先があるか記録を見たところ、リストアップされなかった。

知人の濡れ衣を晴らすべくKDDIに電話をいれたところ、電話に出た女性は終始「始めに結論ありき」の態度を変えることはなかった。

曰く「機械に間違いはありません。時間が経っているので思い違いをしています。ご家族の方が使用されているはずです。」

窓口の女性では埒があかないので、技術に詳しい人に代わって欲しいという要望にも耳を貸そうとはしない。電話を受けたのは自分なので出来ないの一点張りであった。

こちらではルーターが全ての通話の記録をしているから、KDDIの機械が間違いないのならこちらも同様に正しい。そのためにも見に来て欲しいとのお願いをしてやむを得ず電話を切った。

こんなことが許せるのだろうか。間違っているのは客で機械は正しいという持論を展開し、客の声を聞こうとしない、この高圧的態度はどこからくるのだろう。

10月に3社が合併したKDDIの一端を見る思いだが、この会社に明日はあるのだろうか。わたしたちは理不尽なことには敢然と立ち向かうべきなのだ。過去に電話会社が間違って請求したという事実は少なくないのに。

1日
暦をみればもう11月だ。新世紀まであと2ヶ月。

今日はあちこちからインターネットに繋がらない、エクセルのファイルが開かないなどヘルプの嵐。まだまだパソコンは使いにくいものなんだろう。

インターネットに繋がっている学校もごく一部だけだ。そんな現状を見るにつけなんとかしなくてはと、微力ながら自宅の倉庫を改造してインターネットサロンにすることにした。

家人に言わせると、日本人は見てくれが良くないと来ないよ。そんな奇麗でないところに来るわけないと。 そんな事いってるから、いまじゃ韓国にも遅れてしまったじゃないか。

CPUがそれぞれ486DX2-66MHzとDX4-100MHzのパソコン2台とインターネットに接続するパソコン1台を準備した。インターネットに接続する分だけはAMD K6-2 500MHzのCPUにして、古いパソコンも活用だ。

ところがパソコンを組立中にケースの金属部分で左手の親指を切ってしまい、なかなか出血が止まらなかった。パソコンは何台も組立ててはいるが、こんな事は初めての経験。

雨の中、ケーブルモデムのある仕事部屋からLANケーブルを引いた。どういう経路で引くか頭を悩ました。なんせ、こういう時代を想定していないので苦労したが、もう一回家を建てることができれば予め配線しておくことだろう。

CATVはIPアドレスを増やす手続きに時間がかかるので、ルーター(ISDN)に繋いでインターネットに接続してみた。一発で繋がった。とりあえずの準備は整ったので、後は人を集めるだけだ。

けなげにも末の小3の娘が、小学生用の一太郎スマイルでチラシをつくってくれた。

さあ、近くの皆さんいらっしゃい!!


2000年10月

28日
雨の中、京都にあるノートルダム女子大学に出かけた。
秋の公開講座に参加するためである。講座は「広がるIT、変る家庭・女性・こども・教育・学校 〜インターネット時代の家庭や学校の変化と教育を考える〜」と少々長いタイトルではあったが、一般市民から小中高の教員や保護者向けに開かれた大学を目指す試みは評価したい。

いままでの大学は近くの人にとっても遠い存在で、中で何がなされているのか関係者以外は知るすべがなかった。インターネット時代を迎え、情報公開する大学は増えてくるだろうし、こういう試みには積極的に参加していきたいと思う。

今日の講座では、大学の情報教育の環境(設備)を見学する時間があり、これだけでも有意義であった。

また、メル友のOさんにも出会えて良かった。いつも思うのだが、メル友とは初めての接近遭遇なのに、何十年来の友のように、話が出来ることだ。今日は講座を聴くのがメインだったので、メル友とはあまり話ができなかったが、次の機会に時間を持ちましょうと約束した。せっかくの京都なのに、雨が憎らしい。

26日
神戸新聞の書評欄で見て以来ずっと気になっている本があった。

都心の大型書店なら店頭にあるのだろうが、近くの書店にはなかった。そこでインターネットで大阪屋の「本屋さん」に注文した。しばらくして、近くの本屋に届いたので取りに行く。なんと手数料は0円だ。

その本は立花隆ゼミの「新世紀デジタル講義」だ。本の帯によれば、「立花隆と最先端の頭脳に学ぶコンピュータの世界、この1冊で全てを究める」となる。

序章サイバーユニヴァーシティの試み、第1章情報言論、第2章コンピュータの仕組み、第3章コンピュータの歴史、第4章デジタル産業革命、第5章ネットワーク社会の将来、付録オープンソースという新しい流れ、という構成だ。

第2章以降は私にとっては目新しいことではない。この本で私が知りたかったのは序章と第1章にほかならない。

大学で行われている情報教育というものが、いまどういうレベルにあるのか、しかも伝説の東大でどのような状況なのか、それを知ることが出来ただけでも本書購入の意義はある。はっきりいってお寒い限りであるが、立花隆氏の実践は、私に勇気を与えてくれた。

本気になって当たれば、相手(学生)も応えるということだ。リテラシーという用語があります。読み書きソロバンができる能力とでも言えばご理解いただけるでしょうか。氏はこう言っています。『「調べて書く、発信する」ことこそ、最も現代的意味での(インターネット時代の)コンピュータ・リテラシーであり、コンピュータ教育もそこまでやるべきだろうと思います。』

いま我々にもっとも欠けているのが、自分で調べ発信すると言うことなんですね。21世紀に学ぶ子供たちには、そういう問題解決能力を持って欲しいのです。正解のある問題を解くことは重要なことではなく、 それこそコンピュータに任せたらいいのです。

15日
日本のITレベルはどの辺に位置するのだろうか。

iモードの普及が1000万台を突破、携帯でインターネットサービスが利用できることからアメリカに次いで2番手あたりを走っていると思っている人が少なくないのではなかろうか。答えはノーである。アジヤでも後進国なのである。

asahi.comの韓国IT事情によれば、お隣りの国では利用者が国民の半数に達する勢いだ。家庭で、学校で、ネットに夢中なのだそうだ。

韓国ではADSLやCATVなどの高速網の普及と政府の「サイバーコーリヤ」構想も後押ししている。ちなみにPC房(インターネットカフェ)の利用料金は1時間150円という安さである。

日本の事情はどうなているかと官邸のIT戦略会議のホームページを覗いた。がっかりした。国民すべてが使えるようにとか、電子政府とか、実態のはっきりしない言葉の羅列しかない。NTT料金3000円の定額制にするとか言った具体的な施策がない。これが実態なのだ。

ところで、インターネットエクスプローラーとOutlook Express以外に、人はどんなソフトを使っているのだろう。

年々肥大化するマイクロソフト製品を仕方なく購入しているのではないだろうか。パソコン購入費用に占めるオフィス製品の費用は驚くほど高い。これも普及のネックになってはいないだろうか。

パソコンはできるだけ予算をかけずに、まず使ってみることだ。そこに救世主が現れた。ワープロソフトのBeatWordと一世を風靡した統合ソフト(データベース、表計算、ワープロ)のマイツールのフリーウェア化である。もともとどちらも商用ソフトであった。

まずはダウンロードして試用してみることだ。

14日
対照的な二人のプロ野球選手がいる。オリックスのイチローと西武の松坂である。

志も高く自己管理のしっかりした世界に挑戦するイチロー、方や場外の活躍も立派で道路交通法違反で書類送検された松坂である。20才という年齢は法的にも肉体的にも大人である。

野球活動の禁止と実家での謹慎などのペナルティーは当然としても、西武球団オーナー堤義明氏が「管理不行き届き」として小野賢二球団社長と黒岩彰広報課長の2人に辞表提出を求めたとの報道には何かボタンの掛け違いではないかと、失礼ながら笑ってしまう。もし、そういう対応を取るのなら一番に辞めるべきは堤さんではないか。西武球団の甘い体質を見る思いだし、あまりにも日本的な発想だ。

プロとしての自覚が欠如した者の浅はかな行動で、冬季五輪の銅メダリストとしての栄光も、色あせてしまったことは間違いない。

松坂のファンをも裏切ったこの借はとてつもなく大きい。これを認識し球場で還すことができるかどうかにかかっている。一部には、この2年間での消耗が大きく、来年以降の働きを疑問視する向きもある。

13日
白川英樹筑波大名誉教授のノーベル化学賞受賞の決定から3日経ってしまった。
なにかと暗い話が多く人々が目標を失って久しいときだけに、若者たちに夢を与える久々の出来事である。

いままでのノーベル賞のテーマは理解しにくいものが少なくなかった。白川博士の研究はプラスチックの一種のポリアセチレンで、この膜に電気を通す性質をつけることに成功して、プラスチックは電気を通さないというこれまでの常識を覆したという。

身近なところではプラスチック電池や携帯電話の表示画面など実用面での応用が進んでいるそうだ。

白川博士は「欠点を取りのぞいた新しいプラスチックをつくりたい。社会の人々に喜ばれ、あらゆる方面に利用されるだろう」と、岐阜県高山市の松倉中学校の卒業文集で、科学者を夢みていたという。

いまの日本の子供たちが置かれた環境と、50年ほど前の博士の時代のそれを単純比較できない。が、理科離れが著しいと叫ばれて久しい今だからこそ、硬直化した教育の見直しと教育への人材・資金の投入を真剣に考えた施策がなされなければならない。さもなくば、この国に滅ぶ以外の道はないと思う。

NHKのインタビューにおける白川博士の言葉は重い。
「日本の教育は、みんな同じにする教育をしている。
変わった子供たちは排除されるような教育である。
独創性のある子供は生まれないのでは。」と。

少なからず科学技術と関ってきた者として、微力ながら21世紀も地域のパソコン伝道師として、その楽しさを伝えていきたい。

9日
自治省がIT普及へ500万人講習会をぶち上げたそうだ。見送られたIT受講カード構想にに代わる施策で、小中高校や公民館、図書館など公共施設を使用して実施。学校や公共施設にすでに配備されたパソコン台数を調べた結果、500万人が受講可能と判断し、インターネット・eメールを使える国民を一気に増やしたいのだそうだ。

生憎の大雨で、青空文庫からダウンロードした太宰治の「家族の幸福」を読んでいた。時代が変わっても、そこに出てくるような官僚の思いつきだと、つくずく思う。20才以上が対象なら私も受講資格がある。

そんな施策より、NTTの回線費用を下げるとか、自分では何も決められない国民性をなんとかする方が先決ではなかろうか。

実際、こんな風景は日常茶飯だ。あるパソコン講習会で、ホームページやeメールを一通り学習した後での講師と生徒さんのやりとりだ。

「さあ、みなさん自分で好きなページを探して見て下さい。」
「そんな事言われても、何を見ていいかわかりません。」

「お友達にメール送って下さい。」
「私、そんな友達おらへん。」

あなた、いままで何年生きてきたんですかね。趣味なし、友達なし。
こんな人達にIT講習してどうなるの。それより生き方を教えるほうが先だ。でもやり直しの利かない歳だね。


2000年9月

9月は何と言っても、シドニーオリンピックを楽しんだ。それはメル友からの一通のメールから始まった。

神戸出身の丸山小百合選手がカヌー競技に出るので応援を頼むという趣旨だったと思う。早速神戸在住のメル友に声援のための掲示板を作ってもらった。

この日から、私のオリンピック応援スタイルは一変した。インターネットとはこういう物なんだと、とにかく世の中の最前線を見るには、つべこべ言わずに好奇心を持って体験することだ。

選手自身とも情報を共有し、いま同時代を生きていると実感できたのは、古くからネットワークに親しんでいたからだと思う。

この月は、やはり一通のメールから始まったのだけれども、自書を出版できたのが何より嬉しい。

「こんなときどうする eメールの素朴な疑問」というタイトルの本だ。一つ一つの操作を実際に行い、現象を確かめながら書き上げていった。マニュアルを参照して、おそらくこうだろうと書いた解説書では決してない。見比べていただきたいと願う。この本もメル友が宣伝してくれている。ありがたい事である。

この本をお世話になった方々に献本したところ、ほとんどeメールでお礼を頂いた。その中の一人、恩師 であり東京工業大学学長の内藤善之先生からもメールをいただいた。最先端のテクノロジーを研究する大学の長として、自らeメールを駆使するのは自然である。どこかの国の首相も見習って欲しい。

このページは「つれづれ日記」と題しているが、月1回のペースでの更新を目指したいと思う。

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